一般的なお悔やみ

・このたびは、誠にご愁傷さまでございます。

・慎んでお悔やみ申し上げます。

・悲しいお知らせで、何と申し上げてよいやら・・・
お慰めの言葉もございません。

精進落としの喪主挨拶例

本日はご多忙の中、亡き○○の葬儀にお集まりいただきありがとうございます。
皆様のお力添えのおかげで無事葬儀を終えることができました。
ささやかではございますが、精進落としのお膳を用意いたしておりますので、
時間の許す限り、おくつろぎいただければと存じます。
本日はありとうございました。

通夜ぶるまいの喪主挨拶例

本日はお忙しい中をわざわざお越しいただき、御焼香をたまわりまして誠にありがとうございました。
また、故人生前中は、皆様よりひとかたらならぬご厚情をいただき、深く感謝いたしておりました。
併せてお礼申し上げます。なお、ささやかではございますが酒肴をご用意いたしておりますので、
故人の思い出などお聞かせいただきながら、おくつろぎください。

会葬礼状7

「ありがとう」母のお陰で今の私があります

「○○をひとり遺せない」そう母は思ったのでしょうか。
難病との闘いを続け、三年前に心肺停止となった時も奇跡的に持ち直してくれ・・・
意識が戻ることはありませんでしたが、
母の全身から「寂しい思いはさせないよ。お母さん頑張るからね」という気持ちが伝わってくるようでした。
だから私も母がいてくれるだけで嬉しくて、心強くて・・・
生まれてからというもの ずっと母の存在と その大きな愛情に支えられておりました。
私を女手ひとつで育て上げながら、きょうだい達と営む会社の仕事に一生懸命だった母。
自分のことは二の次三の次で周囲の幸せを一番に願っていたものです。
闘病中も「会社が大事」と限界まで励んでいた姿を思い浮かべれば胸が熱くなります。
面影を偲ぶ程に別れが惜しまれますが、最後の最後まで生命を輝かせてくれた母には、この言葉を捧げ見送ります。
「お母さんの娘に生まれて本当に幸せでした。いつか再会する日まで頑張るから、見守っていてね」

喪主

会葬礼状6

「ありがとう・・・」~感謝の想いが届くと信じて

幼い頃、学校から帰ると両親が揃って「おかえり」と声を掛け出迎えてくれました。
『○○』という名の食堂を夫婦で営み、いきいきと働いていた二人の姿が今も忘れられません。
決して口数は多くはなかったものの、厨房に立ち
お客様の喜ぶ顔を何よりの励みにして働く背中は、いつの時も輝いて見え
我が父ながら本当に誇らしかったものです。
私たちを守り 支えてくれた幾歳月・・・
男同士、互いに胸の内を素直に言葉にすることはありませんでしたが、
その真っ直ぐな眼差しからは 深い愛情が感じられたことを覚えています。
大きな存在を失う寂しさはひとしおですが、これまで精いっぱい頑張ってきた父ですので、
どうか彼方では 積年の疲れを癒やし穏やかな時を紡いで欲しいと願うばかりです。

生前お世話になりました皆様へ、謹んでお礼申し上げます。

喪主

会葬礼状5

「みんなから伝える"ありがとう"の言葉」

○○で生まれ、○○で育ち、この地で最期を迎えた父は
住み慣れた土地を誰よりも愛した人でした。
およそ二十年にわたって防犯協会の○○支部長や地域の会計係を務め
子供さんからお年寄りにいたるまで沢山の方々と親しくお付合いさせて頂いたものです。
家庭においても良き大黒柱であり、孫にとっては優しいおじいちゃん。
いつだって家族を支えるために一生懸命でした。
共に過ごした時間が懐かしい想い出に変わろうとも、
みんなの心には いつまでも父が生きています。
「ありがとう」の声が遠い空の向こうまで届くことを強く願ってやみません。

父は、愛着ある我が家で生涯を終えました。
人生を歩む中で結ばせて頂いた皆様とのご縁が、父にとって何よりの宝物でした。

良き出会いに彩られた日々を胸にしっかりとおさめて旅立ちを迎えたことでしょう。
生前のご厚情に深く感謝を申し上げます。

喪主

会葬礼状4

「笑顔の花を咲かせた人生でしたね 沢山の思い出をありがとう」

ふと瞼を閉じた時 まっ先に浮かぶのは、明るい笑顔でしょうか。
気さくで飾らない性分を 有り難いことに多くの方から慕われ
母の周りには いつも賑やかでした。
誰もが大変だった時代を歩み大変なこともあったでしょうが
幸せを探し、道に迷い、涙しては笑って元気に前進してくれたからこそ、
私たちの『今』があります。
真剣に洋裁に励んでいた横顔や、孫たちに注いだ眼差し、時を経て
ひ孫へ命が繋がり小さな仕草に寄せた微笑み・・・
私たちを愛してくれた姿を心に刻み、明日を歩んでいきたいと思います。

よきご縁を結び、母の人生に彩りを添えてくださいました皆様へ深く感謝申し上げます。

喪主

会葬礼状3

「たとえ離れてしまっても 家族の絆は永遠に」

身体があまり丈夫ではなかった父の分まで働く母の姿を、ずっと見てきたからでしょうか。
何か困った時、私たちはまず「母ならどうするだろうか」と考えます。
周りの人への気遣いを何より大切に生きた母の面影をたどれば、自然と答えが出てくるのです。
別れは訪れてしまいましたが、これから先も まっすぐな軌跡が私たちの道しるべとなってくれると信じています。
皆を愛し 愛された母

子から孫、ひ孫、そして玄孫へと続く命を 優しく見守り続けてくれたこと。
お菓子屋を営む忙しい日々の中でも、皆が集まると美味しい料理を振る舞ってくれたこと・・・。
心に宿る母の思い出は永遠に色褪せることはありません。
注いでもらった愛情に報いるためにも、皆で力を合わせて歩みを進めてまいります。

喪主

会葬礼状2

「ありがとう」母のお陰で今の私達があります

あまたの苦労をかさねてきましたから、胸中には星の数ほどの思いがあったかもしれません。
それでも、弱音ひとつ 泣き言ひとつ口にせず こつこつと一本道を歩んできた母でした。
父が他界した時、まだ末の妹は小学生でした。
私達四人姉妹を育てるため、身を粉にして働いてきた幾歳月。
自らのための趣味などを持つ暇はありませんでしたが、ささやかな楽しみといえば
故郷 福井に帰省することだったでしょうか。
お盆が近づくと いそいそと準備をして、孫の小さな手を引いて出かける様子は それは嬉しそうだったものです。
ここ十年ほどは病床にありましたが、変わらぬ あたたかな眼差しを家族に注ぎ、
皆の心のよりどころでいてくれました。

今頃は父と再会を果たし 良き笑顔でいてくれるなら これに勝る慰めはありません。
自由になった手足をのばして 身も心も存分に休めてくれるよう願っております。

喪主

会葬礼状

「形ある思い出、記憶に残る思い出をありがとう」
母の良き面影は 私達の心の中にいつまでも

物静かで多くを語らなかった母。
思い出の写真が沢山つづられたアルバムを開けば母の笑顔に会うことができ、
新聞や雑誌に隅から隅まで目を通し、家で ゆったりとくつろぐ姿や、
九十歳近くまで犬の散歩に出かける様子など、
何気ない日常の光景まで色鮮やかによみがえってきました。
別れは寂しくない、と言ったら嘘になりますが、
今は悲しみよりも他の思いが勝ります。
胸に込み上げる ねぎらいと感謝の気持ちを何としてでも伝えなければなりません。
「家族の絆が強いものとなったのは、お母さんのおかげです。
お父さんの分まで長生きして、そばにいてくれて・・・ありがとう」
懐かしい方々との再会を願い、そっと手を合わせて見送ります。

喪主